壁に描く マフムード・ダルウィーシュ
審判の門では苦痛を感じない。時間も感情もない。
事物の軽さも、執着の重さも感じられない。
誰も尋ねてくれる者もいない。わたしの「どこ」とは、今どこなのか?
死者の都をどこ? わたしはどこ?
場所も時間もないここでは、
無もなければ、存在もない。
前に死んだことがあるかのようだ。そのヴィジョンには見憶えがある。
自分が未知へ進もうとしているとわかる。
まだどこかで生きているような気がする。
(略)
わたしは生きたい……船の背でやるべき仕事がある。
われらの飢えと船酔いから鳥を救うことではなく、
洪水に立ち会うという仕事だ。次は何が来るのか?
この古き土地に生き残った者は何をすればいいのか?
もう一度 物語を繰り返すのか?
始まりとは 終わりとは 何なのか?
死者のもとから真実を告げに戻ってきた者はいなかった。
死よ、この大地の手間で、お前の王国でわたしを待っていてくれ。
わたしが残りの人生にわずかばかりの言葉で語るまで、テントの傍で待っていてくれ。 タラファをすべて読んでおきたいのだ、時をくれ。
(略)
死よ、自分の葬式の手はずを整える時をくれ。
このはかない新春に わたしに時をくれ。
わたしは春に生まれた。わたしはこの胸を突く悲しみの国について、
時とその軍勢の前に立ち塞がる無花果とオリーヴの樹木の抗いについて、
雄弁家たちの際限のない演説を遮るだろう。
(詩集『壁に描く』より長編詩の一部 訳・四方田犬彦 書肆山田
ダルウィーシュは、パレスチナの詩人 1941~2008)
【「朝鮮人なら、殺してええんか」 映画『福田村事件』より】
11月25日、映画『福田村事件』(監督・森達也 2023)を観た。時代は、関東大震災(大正12)の直後。関東一帯では、流言飛語により朝鮮人、中国人への迫害、虐殺が起こる。この言葉は、映画の中で、讃岐から千葉にやってきた行商人一行が、朝鮮人に間違えらえれて自警団に襲われたとき、行商団の頭(かしら)が投げつけた言葉。一行を救おうとした船頭が「ホントにあの人たちが日本人だったらどうするんだよ! おまえら、日本人を殺すことになんだぞ!」と叫び、自警団や村人がしばし躊躇しているときに、頭が言ったのだ。行商団の者たちも、穢多として差別されてきた部落出身者であった。
「朝鮮人なら、殺してええんか」という言葉は、私には「パレスチナ人なら、殺してもええんか」という言葉にも聞こえた。映画を観た一人一人のなかで、そのとき「ウクライナ人だったら」「チェチェン人だったら」「クルド人だったら」「少数民族だったら」など、迫害されている世界の人々、殺され続けている民族の名前が浮かんだにちがいない。
【ハマス 人質解放、イスラエル 同様に人質解放】
11月29日現在、イスラエルとハマスの戦闘休止合意により、人質の解放に注目が集まっている。この紛争では、ハマスが人質230人以上を拘束していることが一つの焦点になっているが、現在イスラエルに拘束されているパレスチナ人6000人については話題にすらなっていなかった。この6000人という数字が表に出てきたのは、ハマスが人質の一部解放に踏み切ったあたりからだ。パレスチナ人6000人の中には、ハマスやイスラム聖戦などの幹部や戦闘員もいるが、多くは一般の市民である。治安上の理由、住居の移動拒否、テロに協力したとされた家族、軍の支持に従わなかった者、等々の理由で拘束されている。その半数以上は、司法手続きのないままの収監。これもまた人質である。ゆえに今回、イスラエル人の人質との交換要員となっている。イスラエル軍が、日常的にパレスチナ人を連行、拘束している、という事実もまた大きな声で訴えなければならないことだ。「ハマス人質解放」の見出しが多かった新聞が、最近になって「人質の身柄交換」と表現されるようになってきた。
カタール政府が仲介した戦闘停止合意にもとづき、24日から4日間の内にハマスは計50人の人質を、イスラエル政府は収監しているパレスチナ人計150人を、それぞれ解放することになったわけだが、30日現在、休戦が延長され、人質の身柄交換が続いている。5日間でハマスが解放した外国人は81人、イスラエルが釈放したパレスチナ人は180人。
この交換の原則は、新聞報道によると「人質1人の解放につきパレスチナ人3人を釈放」ということらしい。パレスチナにとっては、多くの人質が戻ってくるので嬉しいことではあるが、そのルールは、パレスチナ人の命を軽く見ているようで、私にはちょっと変に感じられる。一般人同士の交換であれば、1対1というのが普通に考えられることだ。イスラエル人1人の命は、パレスチナ人3人に値するとでも言いたいようなルールである。
こんなことを書きながら、30日の「中日新聞」朝刊に目を通していたところ、また首を傾げたい記事を見つけた。イスラエルは停戦4日間でパレスチナ人を180人を解放しながら、同時にヨルダン川西岸地区などで133人を拘束し収監したというのだ。これはどういうことか? 手放した人質の補充? パレスチナを「実効支配している」イスラエルにとっては、何らかの理由を付けて民間人を拘束することなど意のままなのだろう。
【ハマスは選挙で選ばれた、民意を得た政権である】
さて、ハマスである。ハマスは「イスラムテロ組織」として紹介されることも多い。カナダ、EU、イスラエル、日本、オーストラリア、イギリス、アメリカはハマスをテロ組織として指定している。
しかし、ハマスは2006年のパレスチナ評議会選挙で、民衆の圧倒的な支持を得て、ファタハ(パレスチナ解放機構PLOの主流派、アッバス大統領の与党)に大勝利し、自治政府の政権与党となっている(イスラエルもガザ地区のハマスに対して、しばしば「ハマス政権」という言い方をしている)。ハマスのハニヤが首相となり、2007年、ファタハとの連立政権となった。しかし、方針の違い等から内部抗争となり、ガザ地区はハマスが、ヨルダン川西岸地区はファタハが実質的な支配権を持つようになった。
2007年、アッバス大統領は非常事態宣言を出し、ハマスが最大議席を獲得したまま、その後議会は開かれていない。
2014年、ファタハとハマスはいったん和解するが、ハマスが政権に復帰したことにより、ファタハをパレスチナの窓口にしていたイスラエルは反発し、強硬路線を取るようになる。統一政権となった14年も、パレスチナの少年がユダヤ系過激派に殺害されたことに抗議するデモに発して、ハマスがロケット弾を打ち込み、イスラエル軍もガザ地区に報復の空爆を開始。現在同様の事態となり、多数の民間人死傷者を出している。
現在、ハマスはアッバス大統領率いる自治政府の正統性を否定している。アッバス政権が自治政府首相であるハニヤを一方的に解任し、議会第1党のハマスを排除した政権であることに加え、アッバスが大統領の任期切れ(2009年1月)後も、大統領選を延期して在任を続けているからある。
2021年1月、アッバス大統領(PLO議長)は、評議会選挙を5月に(06年以来)、議長選を7月(05年以来)に実施すると発表した。しかし、4月30日、評議会選を延期すると発表。理由は、将来の独立国家の首都と考える東エルサレムでの選挙を、占領しているイスラエルが認めないため、としている。ハマスは「選挙の延期は世論に反する」と反発したが、議長選もそのまま延期されている。
この自治政府の分裂、ファタハとハマスの対立が、国際的な支援を中途半端にし、パレスチナの問題を複雑にし、残念ながらパレスチナの平和を妨げている。イスラエルにとっては、その方が好都合であり、これまでもパレスチナの状況に応じて、ファタハに協力したりハマスを支援したりしてきた。
【ハマスとファタハ・アラファト議長】
ハマスとは、イスラム抵抗運動の意であり、1987年に発生したイスラエル占領地でのパレスチナ人の民衆蜂起(第1次インティファーダ)を機に設立された。教育、医療、福祉などの分野でも一般民衆に向けて活動を行っているため、パレスチナ人からの支持は大きい。軍事部門はカッサム旅団、兵力は約1万5000~2万。(ちなみにイスラエル軍は、予備役含めて64万人。毎年アメリカから38億ドル相当の軍事支援を受けている)
ハマスは、1948年のイスラエル建国により失われたパレスチナの土地の奪回、難民となった人々の帰還権を求めている。ゆえに、イスラエルを国家としては承認しておらず、パレスチナの土地を収用して建設が続く入植地についても認めていない。
ファタハは、パレスチナ解放機構PLOの主流派。PLOは、パレスチナ人の対イスラエル闘争の統合組織として、1964年に設立された。ファタハ指導者のヤセル・アラファトが初代議長。PLOは、自治政府ができるまでは、パレスチナ人の唯一正統な代表組織として認知されてきた。
1988年、アラファト議長はイスラエルを国家として認め「二国家共存」に方針を転換し融和を目指した。しかし、そのことに失望したパレスチナ人の支持が、ハマスに集まることになった。
1992年、パレスチナは国連の非加盟オブザーバー国家として承認される。翌93年、アメリカ・クリントン大統領の仲介により、イスラエル・ラビン首相との間で「オスロ合意」が結ばれ、パレスチナ・イスラエルの問題は、一歩前進したかに思われた。ヨルダン川西岸地区、ガザ地区からイスラエル軍が撤退し、パレスチナの暫定自治が始まった。 この一連の和解交渉を歓迎する者もいたが、87年以来の民衆蜂起(第1次インティファーダ)で闘っていた多くのパレスチナ難民は支持をしていない。難民の帰還権、入植地建設の問題、エルサレムの帰属など、重要な問題が棚上げされたままであったからだ。
それはイスラエルでも同じことで、オスロ合意に調印したラビン首相は、95年に、和平反対派のユダヤ人青年に銃撃されて命を落とし、合意は形骸化されていく。
オスロ合意で世界中から注目を集めたアラファト議長だが、その後、パレスチナの民心は離れていく。独断専行、保身、私腹、ファタハの内紛等。アラファトは2004年に死去するが、秘密裏の「パレスチナ資産」は総額40億ドル~60億ドル、個人資産も30億ドルあったとされている(Wikipedia)。
※ 2023年11月3日、上川外相が自治政府のマルキ外相と会い、97億円の支援を約束したが、そ れらは自治政府、つまりはヨルダン川西岸地区のファタハに流れ、ガザ地区の人々の支援には使われ ないだろう。
12月2日、岸田首相はエジプト大統領と会談し、エジプトの人道支援物資の搬入などの役割に対し て敬意を表し、335億円の支援を約束した。パレスチナに97億円、エジプトには335億円。お金の多寡の 問題ではないのだが……首相は「戦闘が再開されたことは残念だ」などと他人事のようなコメントを していた。広島出身の首相は、命の問題を自分事として感じていない。
間もなく新年を迎えるが、一日、日を継ぐ、命を継ぐだけの人たちが、世界中にいる。
パレスチナ解放機構(PLO)は、非宗教的、民族主義的な組織であり、イスラム主義を掲げるスンニ派のハマスは属していない。ハマスはイスラムテロ組織と言われることもあるが、イスラム主義の中では穏健派であり、その活動はパレスチナ解放に限られている。また、ハマスの存在が、パレスチナでのIS(イスラム国)の活動を抑制しているとも言われている。
※
ハマスの作戦名は「アルアクサの洪水」、この名前は、新聞でも数回使われていたが、なぜこの作戦名なのかを解説したものは見かけない。
パレスチナには自治政府(大統領はPLO主流派イスラム組織ファタハのアッバス)があるし、国連の非加盟オブザーバー国家として一九九二年に承認されている(バチカン市国と同等)。そのパレスチナ自治とは名ばかりに、衣食住、働く場所、移動の自由、さらには生命までも管理下に置いているのがイスラエルという国家なのである。「ガザ地区を実効支配しているハマス」という説明はもう聞き飽きたが、「実効支配しているのはイスラエルである」。監獄のような狭い土地に210万人以上のパレスチナ人が人種隔離政策を敷かれて閉じ込められている(さらにその7割がイスラエル建国により故郷を追われた難民なのだ)。それが、パレスチナ・ガザ地区である。新聞報道によると、150万人が南部に避難とあったが、病院や国連施設をも攻撃しながら、多くの市民や子どもたちを殺しながら、南部へ追いやっていくさまは、民族浄化とでも呼びたい非人間的行為である。
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