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執筆者の写真伊藤芳博

パレスチナはどこへ行くのか(1)



 2 0 2 3 年 月 7 日 、 パ レ ス チ ナ の イ ス ラ ム 組 織 ハ マ ス が イ ス ラ エ ル 領 内 に ロ ケ ッ ト 弾 10 3 0 0 0 発 以 上 を 打 ち 込 み 、 同 時 に 潜 入 し て い た 戦 闘 員 が 市 民 を 急 襲 し 、 1 2 0 0 人 も の 死 者 が 出 た 。 イ ス ラ エ ル は す ぐ に 報 復 攻 撃 に 出 て 、 月 末 に は ガ ザ 地 区 へ の 空 爆 に 加 え て 10 北 部 へ 地 上 侵 攻 を 開 始 し た 。 月 日 現 在 の 死 者 数 は 、 ガ ザ 1 万 1 0 0 0 人 以 上 、 イ ス ラ 11 13 エ ル 1 2 0 0 人 以 上 と な っ て い る 。


 10 月 13日 の 「 中 日 新 聞 」 に 、 7 日 の ハ マ ス の 襲 撃 で 100人 以 上 が 殺 害 さ れ た 農 場 ( キ ブ ツ ) の ル ポ が 載 っ て い た 。 遺 体 捜 索 に 従 事 し た ボ ラ ン テ ィ ア の メ ン デ ィ ・ ハ ビ ブ さ ん ( 43)。 「 後 ろ 手 に 縛 ら れ た ま ま 焼 か れ た 子 ど も の 遺 体 の 横 で 、 母 親 と み ら れ る 女 性 が 無 数 の 銃 弾 を 浴 び 力 尽 き て い た 。」 「 ホ ロ コ ー ス ト が 思 い 起 こ さ れ た 。 敵 は そ ん な に わ れ わ れ ユ ダ ヤ 人 が 憎 い の か 。」


 11月 2 日 「 中 日 新 聞 」、「 ガ ザ 犠 牲 者 拡 大 の 一 途 難 民 キ ャ ン プ 空 爆 」 の 記 事 。 シ ャ バ リ 11 ヤ 難 民 キ ャ ン プ の 英 語 教 師 イ マ ン ・ バ シ ー ル さ ん ( 32)。 「 ガ ザ か ら パ レ ス チ ナ 人 が 消 え る の も 、 あ と 数 週 間 だ ろ う 。」「 民 族 浄 化 だ 。」


 11 月 4 日 「 中 日 新 聞 」、「 ガ ザ か ら エ ジ プ ト へ 窮 状 訴 え 」 の 記 事 。 イ ス ラ エ ル 軍 の 攻 撃 に よ り 両 目 を 負 傷 し 、 エ ジ プ ト に 退 避 し た ガ ザ 南 部 の サ イ ー ド ・ オ ム ラ ン さ ん (23 )。 「 戦 争 や 死 を 見 る の は も う 嫌 だ 。」 「 ガ ザ の 医 療 状 況 は 壊 滅 的 だ 。」 「『 地 獄 』 を 味 わ い 続 け て い る 家 族 や ガ ザ の 人 々 を 考 え る と 感 情 が 言 葉 に で き な い 。」


【 死 は 数 で は な い 。 一 人 の 命 も 、 百 人 の 命 も 、 一 万 人 の 命 も だ か ら こ そ 、 こ の 非 対 称 的 な 死 者 数 の 重 さ は 、 だ か ら こ そ 重 い 】


  2 0 0 8 年 か ら 2 0 2 3 年 8 月 ま で の 両 国 の 死 傷 者 数 。 パ レ ス チ ナ 6 4 0 7 人 、 イ ス ラ エ ル 3 0 8 人 。 負 傷 者 は パ レ ス チ ナ 万 2 5 6 0 人 、 イ ス ラ エ ル 6 3 0 7 人 。( 国 連 人 道 問 15 題 調 査 事 務 所 の 統 計 ) 2 年 前 の 2 0 2 1 年 5 月22 日 「 中 日 新 聞 」。10日 間 続 い た 戦 闘 の 記 事 。「 犠 牲 者 260人 超 『 双方 が 敗 者 』」 の 大 き な 見 出 し 。 こ の 記 事 に は 「 双 方 の 死 者 は 計 260人 以 上 」 と し か 書 か れ て いな い 。 ま る で 対 等 な 応 酬 の よ う だ 。 が 、 前 日 の 記 事 を 読 む と 、 パ レ ス チ ナ 252人 以上 、 イ ス ラ エ ル 12人 と 分 か る 。 こ う い っ た お か し な バ ラ ン ス 報 道 が 、 今 回 も し ば ら く 「 イ ス ラ エ ル も 悪 い が 、 先 に 攻 撃 し た ハ マ ス も 悪 い 」 と い う 「 ど っ ち も ど っ ち 論 」 の 世 論 を 先 導 し た 。

  日 本 政 府 も ま た 、 ロ シ ア の ウ ク ラ イ ナ 侵 攻 に つ い て は 「 明 白 な 国 際 法 違 反 で 、 断 じ て 許 容 で き な い 」 と 非 難 す る が 、 イ ス ラ エ ル の ガ ザ 侵 攻 に つ い て は 「 わ が 国 と し て 、 法 的 な 判 断 を す る 立 場 に な い 」 と 述 べ て い る ( 岸 田 首 相 )。「 ロ シ ア は 一 方 的 な 侵 攻 だ が 、 今 回 の イ ス ラ エ ル の 行 動 は ハ マ ス の テ ロ 攻 撃 か ら 始 ま っ た 点 で 異 な る 」( 外 務 省 )と い う こ と ら し い 。 ロ シ ア を 「 一 方 的 な 侵 攻 」 と 言 い 切 る の も 、 ウ ク ラ イ ナ 東 部 の 問 題 ま で 考 え る と 疑 問 も あ る が 、 そ の こ と は 別 に し て 、「 人 の 命 に は 後 も 先 も な い 」 の だ 。 戦 争 に は 、「 鶏 が 先 か 卵 が 先 か 」 な ど を 論 じ て い て も 正 解 は な い 。 ウ ク ラ イ ナ の 人 々 の 命 も 、 ガ ザ の 人 々 の 命 も 、 等 し く 重 い 。 地 球 上 の 「 命 を 守 る 」 と い う こ と し か な い の だ 、 と 思 う 。


  先 の 死 傷 者 数 の 統 計 は 2 0 0 8 年 が 起 点 に な っ て い る が 、 そ れ は 2 0 0 8 年 月 末 か ら 翌 年 1 月 ま で の イ ス ラ エ ル の ガ ザ 空 爆 が 、 第 三 次 中 東 戦 争 ( 1 9 6 7 ) 以 来 の 大 戦 闘 に な り 、 1 9 9 3 年 、 ア メ リ カ が 仲 介 し た 「 オ ス ロ 合 意 」 が 事 実 上 破 綻 し た か ら だ と 思 わ れ る 。 そ の 大 戦 闘 の 死 者 数 、 パ レ ス チ ナ 1 4 1 7 人 、 イ ス ラ エ ル 13人 。 こ の 年 か ら 現 在 ま で 断 続 的 に ハ マ ス は ロ ケ ッ ト 弾 で 攻 撃 を し 、 イ ス ラ エ ル は 空 爆 、 侵 攻 で 報 復 し て い る 。 ゆ え に 、 ハ マ ス の 攻 撃 は 、 な に も 今 回 、 急 に 始 ま っ た わ け で は な い 。 ハ マ ス の 今 回 の 攻 撃 の 理 由 、 イ ス ラ エ ル と パ レ ス チ ナ の 「 オ ス ロ 合 意 」 に つ い て は 、 別 項 で 述 べ た い 。


【 イ ス ラ エ ル に と っ て の 「 9 ・ 1 1 」 と は 】


 私 は 、 そ の 2 0 0 8 年 、 ガ ザ 空 爆 が 始 ま っ た と き 、 次 の よ う な 詩 を 書 い た 。( 詩 集 『 誰 も や っ て こ な い 』 2 0 0 9 所 収 )


  2 0 0 8 年 12月27 日 、 ガ ザ 空 爆 始 ま る


  今 日 も ま た

  暗 闇 の 向 こ う か ら 一 人 の 男 が 現 れ

  私 と 瞬 間 す れ 違 い

  背 後 に 消 え て い く

私 も ま た 息 を 切 ら し な が ら

こ の 暗 い 遊 歩 道 を

見 え な い ど こ か に 向 か っ て

毎 日 走 り 続 け る 一 人 の ラ ン ナ ー だ


走 っ て も 走 っ て も

人 々 が 殺 さ れ 続 け る

突 然

背 後 か ら

先 と は 違 う 足 音 と 息 づ か い が 近 づ い て き て

私 を 抜 い て い く

彼 も ま た

一 人 の 時 間 を 走 っ て い る

追 う こ と は で き る だ ろ う が

私 は 私 を 走 る


な ぜ 走 っ て い る の だ ろ う

こ ん な に も 子 ど も た ち が 殺 さ れ 続 け て い る 世 界 で


走 っ て も 走 っ て も

空 爆 は 続 き

そ れ で も

見 知 ら ぬ 男 は 走 り 去 り

私 も 自 分 の 影 を 追 っ た り 追 い 越 さ れ た り


あ あ ガ ザ

ガ ザ で は な い 街 を 走 る

小 さ な 街 灯 と 自 分 の 影 を 頼 り に


※ 2 0 0 8 年 12月27 日 午 前11 時 半 、 イ ス ラ エ ル は パ レ ス チ ナ ・ ガ ザ 地 区 に 対 し て 空 爆 を 開 始 。 一 日 で パ   

   レ ス チ ナ 人 の 死 傷 者 は 1 0 0 0 人 を 超 え 、 第 三 次 中 東 戦 争 以 来 の 最 大 の 攻 撃 が 、 0 9 年 に 入 っ て も 続 い て

   い る 。( 1 月 日 現 在 )


 2 0 0 1 年 の 9 ・ 1 1 同 時 多 発 テ ロ に つ い て 、 言 語 学 者 で 思 想 家 の ノ ー ム ・ チ ョ ム ス キ ー は 映 画 『 チ ョ ム ス キ ー 9 ・ 1 1 Power and Terror』( 2 0 0 2 ) の 中 で 、「 9 ・ 1 1 は 恐 ろ し い 暴 力 行 為 で し た が 新 し い こ と で は あ り ま せ ん で し た 。 あ の よ う な 暴 力 行 為 は い く ら で も あ り ま す 。 た だ ア メ リ カ 以 外 の 場 所 で 起 き て い た と い う こ と だ け で す 。」 と 語 っ た 。 今 回 、 イ ス ラ エ ル で は 「 我 が 国 に と っ て の 9 ・ 1 1 だ 」 と い う 声 が 上 が っ た 。


 ア ラ ブ 諸 国 と イ ス ラ エ ル が 闘 っ た 中 東 戦 争 ( 1 9 4 8 、 5 6 、 6 7 、 7 3 ) 以 降 は 、 イ ス ラ エ ル と パ レ ス チ ナ の 紛 争 は 、 イ ス ラ ム 組 織 の ロ ケ ッ ト 弾 発 射 や イ ス ラ エ ル 市 街 地 で の 自 爆 攻 撃 は あ っ た に せ よ 、 基 本 的 に は ガ ザ や ヨ ル ダ ン 川 西 岸 地 区 内 で 起 き て い た 。 ゆ え に 自 国 領 土 内 に 侵 入 さ れ 、 ロ ケ ッ ト 弾 等 で 建 国 以 来 最 大 の 1 4 0 0 人 も の 人 々 が 殺 害 さ れ た と い う こ と は 、 イ ス ラ エ ル 人 に ホ ロ コ ー ス ト の 再 来 と で も い う べ き 恐 怖 を 呼 び 起 こ し た こ と は 間 違 い な い 。 イ ス ラ エ ル 軍 に よ る 止 ま る こ と を 知 ら な い ガ ザ で の 大 量 虐 殺 は 、 そ の シ ョ ッ ク の 大 き さ を 物 語 っ て い る 。 し か し 、 パ レ ス チ ナ は オ ス ロ 合 意 以 降 も 、 今 日 ま で 、「 あの よ う な 暴 力 行 為 」 に よ り 、 日 々 、「 子 ど も た ち が 殺 さ れ 続 け て い る 世 界 」 な の で あ る 。


【 忘 れ ら れ て い る 、 パ レ ス チ ナ が 現 在 も 占 領 下 に あ る と い う こ と が 。 パ レ ス チ ナ の 地 で 生 活 し て い る 人 々 の 命 、 人 間 と し て の 尊 厳 が 】


  と こ ろ で 、「 ガ ザ 地 区 、 ガ ザ 地 区 」 と ニ ュ ー ス で は 連 呼 さ れ る が 、 そ の ガ ザ と は 、 ど ん な と こ ろ な の か 。「 パ レ ス チ ナ 子 ど も キ ャ ン ペ ー ン 」 の H P か ら 引 用 す る 。


 長 さ 50㎞ 、 幅 5 ~ 8 ㎞ の 狭 く 細 長 い ガ ザ は 、 種 子 島 ほ ど の 面 積 に 2 0

 0 万 人 の 人 が 住 む 、世 界 で 最 も 人 口 密 度 が 高 い 場 所 の 一 つ で す 。人 口 の  

 約 45% は14 歳 以 下 の 子 ど も で 、7 割 は 難 民 と な っ た 人 々 で す 。 2 0 0

 5 年 ま で は 、 イ ス ラ エ ル の 入 植 地 が あ り 、 イ ス ラ エ ル 軍 が 常 駐 し て い ま

 し た 。 同 年 、 ガ ザ 内 部 か ら 入 植 者 と 軍 が 撤 退 し ま し た が 、 ガ ザ は 周 囲 か ら イ ス ラ  

 エ ル 軍 に 包 囲 さ れ 、 人 や 物 の 出 入 り が 極 端 に 制 限 さ れ て い ま す 。 そ の 結 果 、 燃 料

 や 食 料 、 日 用 品 、 医 療 品 な ど が 慢 性 的 に 欠 乏 し 、 経 済 や 生 産 活 動 が 停 滞 し て 、 人

 々 は 国 連 や 支 援 団 体 か ら の 援 助 物 資 で 命 を つ な い で い ま す 。


 歴 史 的 な 背 景 ま で は 別 に し て 、 ニ ュ ー ス で 「 ガ ザ 地 区 」 と 言 っ た 際 に は 、 せ め て こ れ く ら い の 現 状 説 明 を し て く れ る と 、「 ガ ザ か ら ロ ケ ッ ト 弾 が 発 射 さ れ た 」 と き の 、 パ レ ス チ ナ 人 の 怒 り や 苦 し み が 、 テ レ ビ や スマ ホ を 見 て い る 人 た ち に も 、 多 少 は 伝 わ る の で は な い だ ろ う か 。 そ の 前 提 な し に 発 せ ら れ る 情 報 に 、 多 く の 人 々 は 「 な ぜ 、 急 に パ レ ス チ ナ は イ ス ラ エ ル を 攻 撃 し た の か 」「 な ぜ 今 、 戦 争 が 起 こ っ た の か 」「 ハ マ ス っ て 何 ? 」 と い う 素 朴 な 疑 問 を 抱 い た ま ま 、 メ デ ィ ア か ら 流 れ る 悲 惨 な ニ ュ ー ス を 聞 い て い る 。


  2 0 0 4 年 、 私 が エ ル サ レ ム で 会 っ た パ レ ス チ ナ 人 の ハ ッ サ ン さ ん は 、 イ ス ラ エ ル が 建 設 を 続 け る パ レ ス チ ナ を 囲 い 込 む 「 ア パ ル ト ヘ イ ト の 壁 」 に つ い て 、「 ハ ラ ス メ ン ト だ ! 」 と 怒 り を ぶ つ け 、 ア メ リ カ に 追 従 す る 私 た ち 日 本 人 に 対 し て 「 フ ァ シ ス ト ! 」 と い う 言 葉 を 投 げ つ け た 。


  大 前 提 と し て 、「 パ レ ス チ ナ が イ ス ラ エ ル の 占 領 下 に あ る 」と い う 事 実 が 忘 れ ら れ て い る 。 ( ハ マ ス の 大 規 模 攻 撃 に も 、 世 界 に 忘 れ ら れ て い く こ と へ の 怒 り と 焦 り が あ る の だ ろ う 。 だ か ら と 言 っ て 市 民 を 巻 き 添 え に す る こ と は 許 さ れ な い )。 ニ ュ ー ス を 流 す 時 に 、「 イ ス ラ エ ル の 占 領 下 で 難 民 生 活 を 強 い ら れ て い る パ レ ス チ ナ で は 、」 と い う 前 口 上 を 述 べ る だ け で も 、 ハ マ ス の 攻 撃 の 理 由 の 一 端 が 伝 わ る の だ が 。


 話 は 変 わ る が 、 パ レ ス チ ナ 自 治 区 で 新 型 コ ロ ナ ワ ク チ ン の 接 種 が 始 ま っ た の は 、 2 0 2 1 年 2 月 。「 中 日 新 聞 」 2 月 8 日 の 記 事 「 パ レ ス チ ナ500 人 万 人  ワ ク チ ン 不 足 」 に よ る と 、 パ レ ス チ ナ 人 に 対 し て 、 イ ス ラ エ ル が 提 供 し た の は 2 0 0 0 回 分 の み 。 あ と は ロ シ ア か ら の 寄 付 の 1 万 回 分 と 国 際 枠 組 み に よ る 3 万 7 0 0 0 回 分 だ け 。 こ れ だ け を 聞 い て も 、 占 領 下 に 置 か れ て い る パ レ ス チ ナ 人 の 差 別 的 人 権 状 況 は 分 か る 。


( 私 が こ ん な こ と を 書 い て も 、 自 分 の 中 で の 確 認 く らい の 意 味 し か な い の だ が 、 そ れ で も 人 の 読 者 に は 何 か が 届 く だ ろ う と 考 え て 、 号 外 を 書 い た 。 出 さ ず に は お ら れ な か っ た 。 書 く こ と に よ っ て 一 人 の 命 も 救 え な く て も 、 書 く こ と を 信 じ て 、 書 く 。 続 く 。

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